御堂筋フロントタワー事件経過
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2012年04月12日更新

続報26 三菱地所との「トラブル」真相(前半)

昨年4月27日、三菱地所の支配する「御堂筋共同ビル開発特定目的会社」の突然破産後、巷では、当社が三菱地所に対し契約違反等の行為を行ったのが原因のように噂されました。全く事実は正反対であり、止むを得ず、当社は、ホームページで真実を断片的に発表しましたが、多数の方々より、解りにくいとのご意見が寄せられ、今般、前半と後半の2回に分割して、再度真実をお知らせ致します。

本書は当社の現時点での証拠や記録と記憶に基づき可能な限り正確に時系列で記述した文面であります。もし三菱地所並びに本件関係者におかれて事実と相違する処があればご指摘下さい。ご指摘が事実なら謝罪し直ちに訂正し公表致します。後半は遅くとも4月中には発表したく思っています。結語は、次回後半末記にて、当社の証拠と確信の持てる一部推測も入れて発表致します。ご質問のある方はご照会下さい。もし本名でお差支えのある方は、匿名でFAX送信でも結構です。匿名の方に限り、本HPを通じてご回答致します。FAX No. は、81(日本)06-6537-1361です。

年月日 事象 補足
2006年
10月中頃
メガバンクの照会に、三菱地所と本件協議を進めるには、当社は出資も全てのマネジメント等も50:50の共同事業であれば検討すると伝えていた。但し、他との協議が進んでおり、三菱地所は時間切れ?になるだろうと予想していた。
2006年
11月29日
三菱地所が当社にメガバンクと共に来社し、三菱地所よりの提案書として共同事業を実施する上での、三菱地所の行う業務と責任の範囲を当社に申入れて来た。( 別紙添付@ ご参照)当社は、本件御堂筋の小さな事業より、当時米国大手デベロッパーと検討していた米国アリゾナ州の約40万坪(仮称リトルニューヨークアリゾナ計画)に三菱地所の参加を話した。三菱地所は、まず御堂筋の事業を決定してからと言う事であった。上述の提案書に当社は気持ちが動いた。
2007年
12月頃
三菱地所が、メガバンクを通じ当社が申し入れていた優先出資比率50:50では条件の如何に関わらず当社と事業は出来ない、三菱地所がマジョリティを持つ事は絶対条件である、(すなわち、三菱地所が51%優先出資、TMKの役員もTMKを表面上支配する中間法人の人事も100%三菱地所が決定、TMKの業務は、開発及び特定資産管理処分受託者として三菱地所が全て行う)との強固な申入れがあった。(註:TMKとは後に設立された「御堂筋共同ビル開発特定目的会社」の事)熟慮した結果、共同事業は断念し、当社は三菱地所の提案を承諾する旨メガバンクに伝えた。(当社は地主と優先出資だけの責任49%(後に出資は三菱地所の承認の上、関係会社に譲渡))間もなく、翌年(2007年)1月15日、三菱地所本社で本事業の担当部長であった仲條氏他と会議を開く事に合意した。
2007年
1月15日
三菱地所担当部長も出席され、正式協議が開催された。それ迄に三菱地所の窓口の担当者との条件協議はあったが、この協議で、正式に当社は

A/保証金20億円、
B/土地賃料年額2億7千500万円、固定資産税等実費は三菱地所が別途負担、土地賃料は3年ごとに物価スライド、
C/設計監理は日建設計、但しどうしても三菱地所が合意出来なければ三菱地所設計と日建設計の協同企業でも止むを得ない、

と申入れた。協議の結果、このA/B/C/の回答は2007年(平成19年)1月25日に出すとなった。
2007年
1月25日
三菱地所本社で最終回答があった。上記1月15日当社申入れの内、A/B/は全面的に承認するが、C/の日建設計は承認出来ない、三菱地所設計一社で良ければ本事業は進めると仲條担当部長(当時)から発言があった。当社は既に前回の1月15日の会議の雰囲気より三菱地所設計を絶対条件として三菱地所が固持するなら、本事業を止める事も考え、それ迄の交渉先と本件を復活する事も考えたが、既に三菱地所に前年11月より甘い話で引き込まれ、三菱地所以外の交渉先はうまく行くようには思えなかったため、日建設計には大変義理が悪いと思いながら、三菱地所の提案である三菱地所設計を止むを得ず承認した。決定後、第一歩として、基本合意書の作成を進める事に両社は合意した。
2007年
4月2日
紆余曲折の末、基本合意書に調印。この基本合意書はメガバンクも承知しているとの三菱地所の話であった。(当社HP続報18ご参照)同時に定期借地権設定契約書の作成に合意した。1ヶ月余で調印出来ると双方合意していた。その理由は、主要な条件は基本合意書で決定していたからである。 調印した基本合意書では、三菱地所が当社に提出した2006年11月29日付け提案書は無効とか一部でも変更されるとかは一切加味されていない。
2007年
4月27日
メガバンクとアレンジャーより三菱地所経由で、ノンリコースローン提案書が来た。メガバンクも承認していた。(アレンジャーはメガバンクが選定すると言う変則的な形であった。)三菱地所との基本合意書の内容と異なる条件が羅列されており、当社は三菱地所に断った。 三菱地所は当社の断わりをメガバンクに伝えたと思う。
2007年
5月18日
御堂筋共同ビル開発有限責任中間法人が設立登記された。基金300万円は、全額当社が提供、当初の約束と違った。同日、この中間法人全額特定出資(出資額100,000円)による御堂筋共同ビル開発特定目的会社(以下「TMK」と称する)が設立されたとしている。(目下調査中。)







この中間法人設立に際し、三菱地所(代行東銀リース?)が関東財務局金融監督第4課に提出した届出書に重大な虚偽があるような記述を最近発見し、目下調査中である。
これら2社の法人は、東銀リースの当時の社長(現会長)設立発起人代表となり(当時三菱地所より伝えられた話)東銀リース社員の見上正美氏並びに野中克紀氏が両法人の役員となり、表面上は他より一切関与されない、2人で自由になる形態であった。
三菱地所の駒田氏(現法務部長)が走り回って、中間法人の余っていた基金をTMKの増資に充てる同意書を当社より強引に2010年3月初め頃取り付けていた。三菱地所はこのような少額の資金でも、自社の不動産会社TMKの為、資金調達を熱心に行っていた。当社らの強い面談要請を三菱地所責任者らは1年半に亘って面談を拒否し、2011年1月期の決算書の提出要求後も提出せず、突然破産した。しかも、この破産の為の費用調達先名を破産管財人に再三質問しても、言えないと称して開示しない。都合の悪い事があるようである。
東銀リースのTMK見上氏は、監査法人の費用の資金がないからとか、又、TMKの継続性の見通しがつかないからとして、2010年1月期の決算書提出をEメールで拒否した。 当該中間法人については、2011年1月中頃1年近くも遅れて、前年の正式決算書と監査証明書が出て来た。監査証明には、監査人は意見表明しないと記述し、決算書の適正を証明しなかった。その最大の理由は、当該期の前期に当たる2008年2月〜2009年1月期よりの高額の粉飾決算にある。この決算は、前任の監査会社は適正であると証明していた。関東財務局金融監督第4課もこれを認めていた。2009年1月期の決算書は粉飾が余りにも多く、TMK代表者や支配する三菱地所と東銀リースに修正を申入れていたが、これら3社は訂正しなかった。その為、当社は優先出資金約13億円余の内、2008年8月、当社出資約束分の残額約12億円は1年半早く、全額繰上げ出資し約束を果たした上で、同年(2008年)12月末日と2009年の2度に亘って、実態は価値のない出資金を評価替して大損害が発生した。(詳細後述)三菱地所は評価替えをしなかったようである。担当部長は、価値があると称していた。
2007年
6月24日
本件をメガバンクの本店不動産ファイナンス部に紹介した同行大阪の法人営業部長が、緊急として当社に来社した。前週の土曜日にも、同部長の緊急要請で、東京で面談していた。内容は、TMKの建物はまだ完成しておらず、20億円の保証金の資金を出すのに担保がない、この当社が受取る20億円の保証金を建物が完成するまで担保提供してほしいと言う話であった。当社は20億円の保証金返還請求権担保登記(土地)を承認しており、メガバンクの話は担保の二重取りであり断った。 本TMK事業でメガバンクと具体的な融資話を直接したのはこれが最初で最後であった。また、法人営業部長が当社に20億円の保証金担保を依頼して来た理由は「三菱地所は当初TMKへのローンは保証すると言っていた」処が最近になって、役員の承認が得られず保証が不可能になった事を理由としていた。 
その上当社は、この20億円の使途はなく、法人営業部長の目の届く処に預けるが、利回りの良い金融商品に変えると約束した。部長は、解りました、大洋さんの過去の実績を信用して、本店に上記案でノンリコースローンを押し切りますと断言して、この日曜日早朝よりの会談は終了した。この間約1時間30分位であった。
上述の後 同日、堀内は海外に出張した。メガバンクよりは、その後このローンに関して一切何も直接には連絡はなくその後、メガバンク、アレンジャーが最終定期借地権設定契約書にコメントなしとして同意したことより考え、完全に合意したと思っていた。 三菱地所は、メガバンクの提案と称して、次々と契約にない条件を持ち出していた。
2007年
7月6日
メガバンクはアレンジャーから三菱地所経由で、前回と同じ、傲慢で一方的なノンリコースローンの提案書を送ってきた。(2007年7月3日付) 例えば、地主にメガバンクからTMKへのローンに保証を義務付けるとか、三菱地所の支配するTMKが債務者として少しでも契約違反があれば、TMKは(「地主は」ではない)地主との定期借地権設定契約書を無条件に解約出来、その時点でたとえ地主がTMKに債権(土地賃料、税金等の未払い)があっても、20億円の保証金から相殺してはならない(保証金は見せ金である)、追加出資云々等々プロらしからぬ提案書である。加害者(契約違反者)が被害者(地主)に、加害者が違反したから被害者に相殺せず全額保証金を返せと言う等の、不動産金融で聞いた事もない提案書である。三菱地所はTMKのマジョリティ出資者で開発及び特定資産管理処分受託者であり、TMKの全てを支配しており、基本合意書と定期借地権設定契約書の範囲内であれば次々と単独で業務を進めて行けば良いのにも係らず、メガバンクの提案と称して、当社が断るような契約にない事項を必要以上に当社に再三提案して来るため、当社はうんざりしていた。
メガバンクよりの提案書には、三菱地所窓口係より、「地主様への依頼事項」と称するメガバンクと現在では共同で?作成したと思われる書面が同時にEメールされて来た。この内容は、基本合意書や当時ほぼ合意に達しかけていた定期借地権設定契約書には全然含まれていない。メガバンクや三菱地所に一方的に有利な条件であった。このEメールの説明の為に、三菱地所の窓口係は当社に7月11日に来社するとされていた。
2007年
7月11日
当社に来社した三菱地所の窓口担当者に、その前の7月6日付(前項)のEメールの説明に対し、明確に契約に反するメガバンクのノンリコースローン提案を断った。 その場であったと思うが、三菱地所担当者は初めて三菱地所と面談した2006年11月29日に当社より提案して忘れていた米国アリゾナ開発の件を考えていると言い出した。米国の大手デベロッパーが入ると仕事がやりにくいので入れず、同社の子会社であるNYのロックフェラーを入れて行う事を考えているとの主旨であったと思う。当社は、三菱地所が今でも考えてくれているのかと期待した。
2007年
7月18日
三菱地所窓口係は、上述の当社堀内の明確な断りに同意した。メガバンクローンの提案書とそれに付帯していた担保設定等の契約違反で常識外れの当社に対する要望は撤回したようで、かねてよりメガバンクの提案書が出る前にほぼ合意に達していた定期借地権設定契約書の最終案を三菱地所は当社とメガバンク、アレンジャー等の関係者十数名にEメールして来た。( 別紙添付A ご参照) このEメールを当社が見て、レンダ―のメガバンク、アレンジャーは当社の意見や、同年(2007年)4月2日に調印された基本合意書を再び承認したと信じた。このEメールには、4月2日三菱地所木村社長(当時)調印の基本合意書は、この定期借地権設定契約書調印後も有効であるとの別紙も付けられていた。この定期借地権設定契約書は、一部修正の上、全員合意し正式調印された。(続報18ご参照)
2007年
7月25日
三菱地所より7月18日関係者全員に送付された定期借地権設定契約の件をメガバンクは承知しながら、 別紙添付B のごとき「変更分送付の件」と称して、奇怪なEメールを送って来た。それは、メガバンク(本店不動産ファイナンス部)は@それ迄一度も当社には直接具体的な話はしなかったのに、初めて直接ccではあるがアレンジャーも三菱地所も使わず送付して来た Aこの文面によると、このEメールは三菱地所からメガバンクに依頼されて、同行内でまだ承認されていない文面をあわてて三菱地所のために急きょ作成し当社と関係者にccで送ったと言う奇怪な文面のEメールである。このEメールに添付されたメガバンクの変更分と称する書面は、それ迄何回も当社が拒否したノンリコースローン提案書である。当時当社はこの真偽不明のメガバンクのEメールは放置した。何か問題があればメガバンクやアレンジャーとの問題であれば、当然三菱地所より連絡がある思っていた。関係者よりは一切この件で直接連絡はなかった。
2007年
7月27日
アレンジャーよりメガバンク、三菱地所、大洋リアルエステートに、牛島事務所が一部最終修正した定期借地権設定契約書を送付し、各社に意見を返信するようEメールして来た。送付された契約書の文面は調印した契約書とほぼ同じ文面であった。
平成19年
7月30日以前
三菱地所、メガバンク、アレンジャーは、平成19年7月31日付 (調印は翌月8月3日)定期借地権設定契約書の内容はそれ迄に全て全員合意の変更を行っており、「コメント」ありませんとして同年(2007年)7月31日前に全員Eメールで合意した。但し、当社は軽い変更を求めた。翌日全員合意した。 この合意には、三菱地所の罠があった。(後述ご参照)
2007年
7月31日
2007年(平成19年)7月31日 アレンジャーよりEメール送付の定期借地権設定契約書最終版に全員コメント修正ありませんでしたのでファイナルとさせていただきますとのEメールが、レンダ―(メガバンク)、三菱地所、当社ら関係者全員にEメールされて来た。 それでやっとノンリコースローンは決定したと当社の関係者にも伝えた。同時に、既に三菱地所と約束していた8月3日午後2時よりの契約書調印にも、最終定期借地権設定契約書案のアレンジャーよりのEメールにコメントなしと言うレンダ―(メガバンク)のEメールがあり、定期借地権設定契約書に安心して調印出来ると当社は喜んでいた。
8月3日(次項)の調印前に、三菱地所は当初に初めて面談した時のアリゾナ開発を本気で進めたい事、三菱地所本社より役員や幹部並びに米国NYのロックフェラー社長や幹部が現地を視察したい話しがあった。 今考えれば、この時にアリゾナ開発を持ち出したのは、後述のメガバンクのローン条件変更の調印について当社に承諾させる為の三菱地所の一種の精神的なトリックも含まれていた可能性が高いと思う。
2007年
8月3日
メガバンク(レンダ―)、アレンジャー、三菱地所、地主(当初の優先出資者、後に承認を得て優先出資売却)関係者全員の完全合意を得た定期借地権設定契約書に三菱地所本社で午後3時頃迄に調印完了し、同社を午後3時頃辞去した。同時に、当社関係者に調印無事終了を伝えた。
2007年
8月4日
堀内は成田より米国に帰国した。
2007年
8月7日
堀内は米国会社に出社して、日本出国後初めてEメールを見て驚愕した。それは、先日の8月3日午後3時頃定期借地権設定契約書調印後、三菱地所辞去直後の推定30分後、8月3日午後3時34分発信の、アレンジャーより三菱地所、メガバンク、当社宛の、ノンリコースローンに関する詳細な関係者間契約書であった。 既に調印した基本合意書や定期借地権設定契約書の範囲内の詳細な明文化なら一切異存はなかったが、当社が定期借地権設定契約書調印する前に何度も三菱地所を通じ断わりメガバンクはそれを承知しておきながら(詳細後述)、定期借地権設定契約書に当社が調印するのを待って、同日30分後に又々だまし打ちの如き変更の調印を要請して来た。重要な問題点は、TMKがメガバンクや地主等に少しでも契約違反があれば、加害者のTMKが被害者の当社に一方的に定期借地権設定契約書を問答無用に解約出来る。その時は、地主(当社)はたとえTMKに土地代その他の債権があっても保証金より差引く事は一切出来ず、直ちにメガバンクの指定する口座に送金する事、定期借地権設定期間中、又ローン残存中は、地主がTMKの貸し付け人(メガバンク)に連帯保証人となる、追加出資も必要があれば行う、その他、当社が過去何回も断わった驚愕すべき条件が多数潜んでいた。当社は、当時100%三菱地所を信頼しており、この詐欺的行為、金融商品取扱法に違反するメガバンク並びにアレンジャーに当社は勿論三菱地所もだまされて定期借地権設定契約書を契約したと思った。(真実は後述)このような誤判断をした原因は、当時アリゾナで毎日陪臣員裁判があり2〜3時間しか睡眠時間が取れなかったからだと今では思う。
激昂した当社は、米国より大洋本社担当者に指示し、メガバンクが承認した定期借地権設定契約書のもとではその翌月にメガバンクより借りて当社に支払う1回目の保証金10億円の支払いが迫っているにも係らず、銀行の優越した地位を利用して当社に不当な手法で圧力をかけ、非常識なローン条件に変更させようとした行為に激憤した文面を、三菱地所を通じメガバンクや関係者にCCで送付した。( 別紙添付C ご参照) メガバンクを三菱地所に紹介したきっかけは当社の土地であったので、三菱地所に迷惑を掛けたと思い込み、負い目を感じた。
三菱地所には、このような銀行より資金は借りず、当社グループから、メガバンクより予定している63億円は肩代わりして銀行と同条件(実質は当社グループからの借入の方がはるかに安く調達できる。まず、登記留保となる見込み、担保登記の費用は無料となる。事務の手数は大幅に短縮出来る。アップフロントフィーもゼロとなる等々)でローンすると、以前から申し入れていた案を再度提起した。 三菱地所やメガバンク、アレンジャーよりは、この超重要で強烈な申入れを無視して何の回答もなかった。
今考えれば、三菱地所は、当社が苦労していた米国アリゾナ州US60高速道路とループ202高速道路の交差するインターチェンジ隣接地(この土地も当社グループが大半所有していた)のアリゾナ開発の話を持ち出し、当社の気分を良くして定期借地権設定契約書調印とその直後のメガバンクよりのTMKを行詰らせるノンリコースローンに調印させるための手段として使ったと信ずる。その後、同年11月末頃、三菱地所本社代表者と同行の幹部やNYのロックフェラー社長や幹部ら、事前調査人も含めて12〜13名がアリゾナ州フェニックスで2日間に亘って会議や現地視察を行った。その後、三菱地所がロックフェラー社カリフォルニアに指示し、専門家を雇って、この約40万坪の開発計画について行政当局等開発計画の調査や市場調査を進めかけた。2005年頃より当社が米国で注視していた狂乱住宅ローンに端を発する不動産状況は拡大し一層状況は悪くなった。このローンはのちにサブプライムローンとして報じられた。翌年(2008年)2〜3月頃、アリゾナの不動産の見通しは益々悪くなり、当社は三菱地所に、この事業で大損を与えてはならないと考え、一旦延期を申し入れた。当社グループ会社と英国人が所有する会社がこの土地を共有していたが、その後2009年3月に、当社グループが新たに単独設立した新会社が一社で買い取り現在に至っている。
2007年
8月13日頃

2007年
8月17日
上述の、当社が三菱地所を通じメガバンクとアレンジャーに送付した強烈な抗議Eメールに、関係者達からは何の反応もなく、当社は三菱地所担当者に電話した。担当者は、2〜3日回答は待ってほしいとの事であり、次回同月(8月)17日にはコンファレンスコールで、堀内は米国より再度三菱地所担当者達に電話した。しかし担当者達は、大洋より多額の資金が出る事は困るとの理由を挙げて、一方的に簡単に断わった。 処が、既に調印した定期借地権設定契約書では、翌月(2007年9月)に、保証金の50%に相当する一回目の10億円の支払いは迫っており、当社宛の2006年11月29日付提案書の責任上、当社グループよりのローンを断る事は、銀行借入以外の資金(三菱地所の自己資金又は他のメガバンクの資金?)を使ってTMKに三菱地所がローンすると思い、このように断わられた事で一層、三菱地所の本件事業の取組みを信用し、資金の心配はないと思った。
1回目の定期借地権設定契約書調印の翌月(2007年9月)支払われる10億円の保証金と翌年(2008年)に支払われる10億円の合計20億円は、ビルが完成する2010年1月に延期する事、延期金利等はメガバンクよりも安くする事(違約金利14.6%は適用しない)を申し出た。 メガバンクを本件ローンに引き込んだのは当社の土地が原因であり、三菱地所に迷惑を掛けたと言う思いもあり、その上、当社自身も資金が余り、運用方法に困っていたため、また保証金20億円のメガバンクからのノンリコースローンは、建物が完成しておらず担保がない為難航している、とメガバンクの大阪法人営業部長や三菱地所よりも聞いていた為、建物が完成する2010年1月に延期する事を当社より自発的に申し出た。
三菱地所は即座にこの申し出を承諾したが、当社グループよりの、メガバンクより有利なローンを断った。          今振り返って考えれば、三菱地所はこの大半の資金を当社グループよりローンすればTMKを行詰らせて二束三文で買取る魂胆を実行出来なくなるから当時は断ったと状況証拠より現在では推測出来る。

次回に続く(後半)

本書は、今迄当社HPや直接Eメールで関係者にご送付した文面と齟齬があった場合は本書が正しいとご理解お願い申し上げます。

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